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 江戸と薩摩の違い

江戸と薩摩の違い

江戸切子と薩摩切子の歴史は密接に関わりあっています。そもそも、薩摩切子の始まりは江戸切子の技術に学んだものでした。1846年 薩摩藩は江戸より四本亀次郎を招いて硝子の制作を始めます。二十数年の期間ですが、工員が百人を超えるほどに薩摩切子は繁栄します。
薩摩切子と江戸切子の作風には、歴然とした差があります。大胆な構成が特徴の江戸切子に対し、色ガラスを意識し、ぼかしや、透明な地と被せ硝子の色のコントラストを意識した繊細な技巧の光る薩摩切子。
職人の系譜もまた異なり、加賀屋九兵衛、イギリス人技師ホープトマンなどの名匠から脈脈と継がれてきた江戸切子と、四本亀次郎に端を発し、一度断絶したものの、多くの人々に支えらえて復活した薩摩切子。その両者ともに抗いがたい魅力を含んでいます。

江戸切子が加賀屋九兵衛のガラスづくりから始まったのに対し、薩摩切子は薩摩藩主島津家が、産業として興そうと始めたカットガラスです。個人で始めたか、藩が始めたかの違いがあり、民間か、公営の違いが成立時に既にあったわけです。
薩摩切子は、薬品瓶を作るのが当初の目的でしたので、やや厚手で、しっかりとした作りです。被せ硝子の層も分厚く、そのため、平摺りによるぼかしなどの技法を施せます。それに対し、江戸切子は、透きガラスが中心。被せのガラスは薄く、透明感があります。
工法も、江戸切子は当初、完全に手摺りであったことが伝えられていますが、薩摩切子については、もともとで盛んだった水晶研磨の技術を利用して、回転盤、轆轤でカットを施していたのではないかと言われています。しかし、現存する薩摩切子の大半が有色であること、実際に残っている作品に、回転盤研磨に特徴的な痕がないことなどからこの説は再考の余地があるとされています。光を透過しない色ガラスの上を照明設備の整っていない工場で轆轤でカットするのは至難の業で、主要な部分はやはり、手の感覚で分かる手摺りであっただろうというのが関係者の見解です。
実際に、薩摩切子の復刻版を作成した人が、銅赤の被せのガラスをカットする際に、魚子などの模様が上手く入らなかったという逸話があります。技術的には、透明のガラスにカットを施す方が易しいのですが、それでも、大変な修行をしなければなりません。実際に、薩摩切子の職人は数年ぐらいしか修業ができなかったであろうと考えられますから、薩摩藩が巨額の投資をして始めた産業の技術力がいかに高かったか、うかがい知ることができます。
色合いも、薩摩切子には紅硝子という特徴的なものがあります。薩摩藩付きの蘭学者中原尚介らが、数百回の試験をしてやっと製法を確立したものです。江戸切子の被せにも赤はありますが、どちらかというと薩摩がルーツのようです。
薩摩切子は由羅騒動というお家の騒動、藩主の交代、薩英戦争によって集成館の工場が破損したこと、藩政から都道府県への移行など体制の変化によって姿を消していったのに対し、江戸切子はペリーの目に留まるなど、激動の時代に対応し、工法もホイールを取り入れるなど柔軟な動きを見せました。今でも職人の系譜は一度も途絶えることがなく続き、少し調べれば、加賀屋九兵衛、或いはホープトマンの伝習生にたどり着くことができるのです。
薩摩切子は1985年に復刻を果たし、今では江戸切子、薩摩切子両方を手元に置くことができます。これはペリーもできなかったことで、現代の私たちはとても幸せな立場にあるといえるでしょう。